電話
「もしもし」
「もしもし、私…、志村です」
「ああ」
「あの、もういちど声が聞きたくて。一日中いっしょにいられて、最高の誕生日だったから」
「そうか」
「もっと…いっしょにいたかった…」
「ん」
「先生も?」
「ああ」
「よかったぁ。…じゃあ、また明日。おやすみなさい」
「おやすみ」
決意
「今日、京成大学病院の血液内科に行ってきました。このレントゲンを持って。
いつからなんですか」
「長野の病院にいたときです。多発性骨髄腫とわかったときには、もう手の施しようがなく、
あとはいかに、進行を遅らせるかだけでした」
「それでフロノスを」
「ええ」
「先生、入院するべきです。治験薬で抑えるだけではなく、放射線療法やMP療法だってある。
インターフェロンだって…」
「するつもりはありません」
「しかし、それでは」
「このことは現実として受け止めるしかない。逃れようのない事実ですから」
「あなたはそれで納得できるんですか」
「自分で選んだことです」
「それでも僕は医者として、あなたにできるかぎりのことをしたい。
あなたが現実を受け入れる強さを持っているなら、残された時間を少しでも長く生きるべきだ。
いや、僕は君に、生きてほしい」
「ありがとうございます。でも、それは、先生のわがままです。
事実を誰にも知られたくなかったのは僕のわがままです。
死んでいく僕だから見える医療がある。
そう思ったとき、残酷な事実を味方につけて、医者を続けようと決めました。
これ以上の、医者としての仕事のしかたはないと。
だから、僕は最後まで医者であり続けます。
ご心配いだだいて、本当にありがとうございます。でも、僕には僕の、生き方がありますから」
「本当にわがままな人だ。でも僕も、わがままだと言われようとも、これだけはあきらめきれない」
「彼女にも、何も?」
「愛してますから」
夕焼け
「夕焼けの中の川って、なんかあったかい」
「住むところを探して、初めてこの部屋に来たときも、こんな夕方だった。
この川を見て、子どものころ迷子になって、たどり着いた川のことを思い出してた」
「子どものころって、北海道」
「自転車で遠出して、夕方になって道に迷ったんだ。
さんざん迷ったあと、川に出て、心の底からほっとした。
この川に沿って行けば、家に帰れるんだって」
「それで、この部屋に」
「…ああ」
夜に降る雪
「ひとりでボートに乗ったとき、涙といっしょに流されて海までいくのかなぁって思った。
でも、川の行く先が、海とは限らないんですよね?
さっき、先生話してくれたでしょ。迷子になったとき、川が家まで連れて帰ってくれたって」
「ああ」
「川は、迷子になった私たちの、いちばん行きたい場所に連れてってくれる。
私がボートに乗った川は、先生のところに連れてきてくれました」
「あ…、雪!」
「北海道もまだ雪なんでしょうね」
「夜に降る雪が好きだった。真っ暗な空から落ちてくる雪を見上げてた」
「静かそう…」
「雪の音しか聞こえない」
「すごく静かで、やさしい音」
「聞きにいくか、雪の音」
「え?」
「久しぶりに北海道に帰ってみようと思ってた。一緒に行かないか」
「いいんですか?」
「君と行きたい」
「行きたいです。先生の生まれたところ」
「行こう」
「はい」
「発見…。幸せすぎると、涙が出ます」