カップ

 

「こんばんは」

「ん」

「おじゃまします」

 

「もう、こんな大事なもの忘れていくから、ずいぶん探しちゃいましたよ、先生のこと。

どこにもいないんですもの」

「悪かった」

「なんか、顔色悪いみたい」

「そうか」

「大丈夫ですか」

「別に、変わりはない」

 

「ここのでいいですか、カップ」

「ああ」

 

「なんか…」

「ん?」

「あ」

「何?」

「いっしょにいるんだなって思って」

 

 

屋上

 

「なんだ」

「あ、神崎先生が探していらっしゃいます」

「わかった」

「あの…、やっぱり、煙草吸い過ぎだと思います。

あ、でも、まぁ、好みの問題ですから、私がどうこう言っても。でも、相当吸ってますよ」

「今夜、うちでいいか」

「え?」

「誕生日だろう」

「なんで?」

「神崎先生の声は大きい」

 

 

 

誕生日

 

「料理、うまいんだな」

「ほんとですか」

「ああ」

「よかった」

「何がいい」

「え?」

「誕生日のプレゼントだ」

「もう、いただきました。こうして一緒にいられるのが、最高のプレゼントです。

あ、先生、誕生日、いつですか」

「8月だ」

「8月の?」

「9日」

「8月9日…。夏なんだ。あ、だからボート」

「?」

「あ、やっぱり夏生まれだから、ボートなのかなと思って」

「それはどうかな」

「あ、あまり関係ないですよね、冬でも漕いでますもんね。あ、じゃあ、先生、どんなボートに乗っていたんですか?

ほら、人数が多いのとか少ないのとか、いろいろあるじゃないですか」

「エイトだ」

「エイト。じゃ、8人乗り」

「9人乗り」

「え、じゃ、それじゃナインって」

「8人で漕いでるんだ」

「あ、そうですね。そういえば、いましたね。ひとり、あの、みんなと逆向いて、わーって声を出しているような感じの人」

「コックスのことか」

「あ、先生、それだったんですか」

「漕いでた」

「ですよね、やっぱり。よかった。あ、じゃあ先生、どこに座ってたんですか」

「7番目」

「7番目。ラッキーセブンですね」

「そうだな」

「あ、そうだ。今度の誕生日、私が先生のこと、ボートに乗せてあげます。それまで、一生懸命練習しときますから」

「楽しみにしてる」

「なんか、嬉しいです。こうやって先生のこと、ひとつずつ知っていけるのって」

 

「先生。待ってていいですよね」

「ああ」

「行ってらっしゃい」

「ん」

 

        □   □   □  

 

「お帰りなさい。

ケーキ食べましょうか。やっぱり、誕生日といえば、ケーキですもんね」

 

「先生…?」

「ずっと、ここにいてくれ。ずっと、ずっと、俺のそばにいてくれ」

「私もそばにいたいです。ずっと、先生のそばに…」

 

「私に?」

「ん」

「あ、これ…」

「ん?」

「きれい…」

「ん」

 

 

 

カナル・カフェ

 

「すごい、すごいすごい、すごい! なんか、なんか水の上に浮いているみたい。

先生、いつこんなところ見つけたんですか」

「学生のとき、たまに。ボート部の連中とな」

「へぇ、先生って、ほんと、いろんなところ知ってますね」

 

        □   □   □

 

「なんか、子どものころのことを思い出します。

川に遊びに行ったら、急に雨が降り出しちゃって、でも、雨粒でできた波紋を見ながら、

あ、あそこに怪獣がいるとかいって、びしょぬれになりながら、うん、想像ごっこしたりして。

先生、子どものころ、何して遊んでました?」

「うん、野球かな」

「あ、私もです。小学校のころ、男の子といっしょになって。で、上手かったですか?」

「どうだろ。でも、好きだった」

「じゃ、野球部」

「中学、高校とな」

「あ、私も上手いんですよ、キャッチボール。今度いっしょにやりましょうよ」

「そうだな」

「そっか、ボートの前は野球部だったんだ」

 

「ボート乗るか」

「え…でも」

「約束だっただろ」

「はい!」

 

 

 

 

 

 

「どうしたんですか」

「先生。教えてください。これ、何の薬なんですか」

「フロノス…」

「どうして三樹子さんがこれを」

「先生、何の薬なの? 何の薬なのか教えてください」

「ちょ、ちょっと待ってください。三樹子さんが、どうしてこの薬を持っているんですか。

いいですか。これは治験薬です。普通簡単に手に入るようなものじゃないんですよ。

教えてくれますね。三樹子さん」

「これ、打ってるんです、直江先生。自分に」

「直江先生が?」

 

 

「これは…」

「何なの?」

「これが、直江先生なら…」

「だから、何なの?!」

「MM。…多発性骨髄腫だ」

「こんなに転移して…。これじゃ、もう長くない」

 

    □   □   □

 

「あ、笑いごとじゃないですよ。せっかく約束だったのに」

「また今度、来ればいい」

「そうですね」

 

「ボート、乗れなくてよかったかも。約束があるってことは、先に楽しみがあるってことですもんね。

ボート乗れなかったから、こうやって歩けてるんだし」

「そうだな」

 

「先生。先生の部屋のレントゲン写真、誰か患者さんのものですよね。先生のじゃないですよね?」

「…ああ。違う。…どうした?」

「7って書いてあったから、先生のボート、ラッキーセブンの7番かと思って」

「僕の患者のものだから、そう書いたんだ」

「そっか」

「人のことを勝手に病気にするな」

「すみません」